2007年5月30日水曜日

美容院

ティムちゃんからとうとう「髪を切りなさい命令」が出ました。
ちょっと気になるくらい、ヤマンバ状態だったので仕方ないか。
ティーンエイジャーの頃は1ヶ月同じ髪型で通したことはないくらい、髪には気を使っていたものの、桃太郎君が生まれてからはずっとロングで通してきました。
ロングって楽チン。
朝お風呂に入って、髪を洗って、その後は自然乾燥。
何にもする必要がありません。
たまに午後からのお仕事とか、ちょっと特別なところにお出かけのときはホットカーラーを使ったりしますが、そんなのは2-3週間に一度くらい。
3年前くらいまではティムちゃんが切ってくれたりしていたのですが、あまりに私の注文が多いのでここ数年は美容院に行くようになりました。
20代の頃は髪も元気で、よく皆から何のトリートメントを使っているのか聞かれたけれど、最近は自分でも髪に元気がないのがわかります。
そうなると毛先の傷みが目に付いて、まめに手入れが必要になります。
でも私は美容院が大嫌い。
おしゃべりするのが仕事のクセに、美容師さんとの会話が苦痛です。
一体何を喋ればいいのか判りません。
でも喋らないと気難しい人間だと思われるのも嫌だし。
コメディアンの人が人間嫌いなのと少し似ているかもしれません。
私は人間は大好きだけれど、人見知りして仲良くなるまでに時間がかかるほうです。
仲良くなるまでは「上手いな」と思う人でも数回で何となく会うのが苦痛になってきます。
そこでいつも新しい美容院を探す羽目に。
ティムちゃんに切ってもらえばいいんだけれど、「エビちゃんみたいにして」と言ってもわからないし。
(実は写真を見せたらできないと言われた)
わがままで何にも気にしないと思われることが多いけれど、実は小心者です。
ロンドンには30軒位日本の美容院があります。
だいたいカットで40ポンド前後かな?
イギリスの美容院だと5-60ポンドくらい?
前におうちの近くで切ってもらったら70ポンドも取られてびっくりしました。
日系の美容院の方がサーヴィスも良くて値段も安めです。
前に行ってサーヴィスのよかったところを明日予約しました。
ああ、気が重い。

2007年5月29日火曜日

イングリッシュ・ブレックファスト


私はよく夢を見ます。
覚えていないときももちろんあるけれど、平均すると一晩に3本くらい。
もちろんカラーで匂いや感覚も付いてきます。
子供の時に色付きの夢を見るのはおかしいといわれて随分気にしたこともありますが、大人になってみると他にもたくさんの人がヴィヴィッドな夢を見ていることを知って安心しました。
リアルな夢だと本当にあったことか夢なのかがわからないときがあって、困ることもたまにあります。
昨日の夜もリアルな夢を見て、私は夢の中で一生懸命朝ごはんについて考えていました。
イギリスの朝ごはんは家庭によっていろいろですが、シリアルで軽く済ませるところが増えています。
うちでは起きてから食べたいものを決めるので、決まっていません。
桃太郎君はブリオッシュにヨーグルトの時もあれば、焼きたてのクロワッサンの時もあって、家の向かいまで買いに出ないといけないことも。
ベーコンと目玉焼きは大好きなので、週に3回は注文が出ます。
やっぱり朝から買い物に行くのは面倒なので、なるべくクロワッサン以外のものを注文してもらうように誘導するのが心理ゲームのようです。
夢の話に戻ると、私は桃太郎君に朝ごはんにオムライスを食べさせようと考えていました。
「朝ごはんはオムライスよ。」では芸がなさ過ぎ。
やっぱり心理作戦で、彼からオムライスの注文を引き出さないと面白くありません。
つやつやのご飯にグリーンピースや赤ピーマンやベーコンを入れて、軽くいためたのにふんわり玉子焼きを乗せてケチャップでイニシャルのMを書いて・・・。
そんなことばかり考えていて目が覚めちゃったので、私が食べたくなってしまいました。
私のおうちは炊飯器がないので、おなべでご飯を炊くところから始めないと。
1時間ほどしてやっと出来上がりました。
桃太郎君の分も作れるだけご飯は用意しましたが、彼は私のオムライスを見て、「今日はブリオッシュとヨーグルトがいいな。ちょっとそれは朝から重すぎ。」だそうです。
オムライスはとっても美味しかった。
ティムちゃんは自分で食べたいものを用意します。
アヴォカドとツナのサラダとか、ベーコンとビーンズと目玉焼きだとか。
伝統的なイングリッシュ・ブレックファストはベーコンとソーセージ、目玉焼きにビーンズと焼きトマト。
ビーンズは日本の煮豆をおしょうゆの代わりにケチャップで味付けした感じ。
結構いけます。
ロンドンのリッツホテルの朝ごはんはチャールズ皇太子の会社のベーコンとソーセージ。
他のホテルよりも美味しくてお勧め。
泊まらなくてもご飯だけ食べにいけます。
アフタヌーンティーも夕食も高いばっかりでハズレなホテルだけれど、朝ごはんは2重丸です。

スパイダークラブ


リッチモンドでは毎週土曜日にファーマーズマーケットが開かれます。
でもファーマー(農家)以外の人たちもお店を出しています。
お魚屋さんもいて、数週間前にここでスパイダークラブを見つけました。
コーンウォールのほうでたくさん獲れるそうですが、イギリスでは人気がないそうで殆どがスペインに輸出されてしますそうです。
なんてもったいない!
今日もあるかと思って聞いてみましたが、残念ながらありませんでした。
そこであきらめる私ではありません。
トウィッケナムにある有名なお魚屋さんに電話してみました。
ところがここにもありません。
そうなると意地でも食べたくなってきました。
ティムちゃんは桃太郎君とカレーを食べるというので、取りあえず、鳥の桃肉を買いにウェイトローズに行くことにしました。ここにはロブスターはありましたがスパイダークラブはなし。
ウェイとローズの近くにFish Worksというレストランがあります。
ここは入り口がお魚屋さんで奥がレストランというつくり。
何気なくお店を覗いてみると、いました。
しかも生きて動いています。
ティムちゃんに指で示すと安心顔。
彼はいつも「僕がこの世に生まれてきたのはみきちゃんを幸せにする為」と公言しています。
もしかしたらロンドンまで蟹探しに出掛けなければいけなかったところです。
早速お店でゆでてもらうことにしました。
とても大きな蟹。大きさがわかってもらえるようにワインのボトルと並べて写真を取りました。
イギリスで普通にお目にかかる蟹は甲羅がとても大きくて爪に身がたくさん。
甲羅にもちょっぴり身は入っていますが、スパイダークラブに比べると味は淡白。
からしマヨネーズやバターソースでいただきます。
スパイダークラブは日本の蟹と同じように足から身を取り出します。
甲羅の中にも身とかにミソ。
でもほぐすのが大変。
この間もワインを飲みながら30分以上かかって身を全部取り出しました。
でもその甲斐あって、甘くてとても美味しい蟹にありつけました。
イギリスの蟹は爪を叩き割って身を取り出すので特に道具は要りません。
ところが細い足から身を取り出すにはよくシーフードレストランで見かける細長い道具があると便利です。
この間はお台所をくまなく探しましたが、見つけることができずに随分苦労しました。
かにをゆでてもらっている間に道具も買ってもらいました。
シアワセ。

2007年5月27日日曜日

セントジョージーズ・ホール


リヴァプールには鉄道駅がいくつかありますが、ロンドンから来るとライムストリート駅に到着します。
道を渡って北に歩くとギリシャ神殿風の建物が目に入ります。
今から約150年前に作られたセントジョージーズホールです。
英国では建物の流行がはっきりしていて、特徴を覚えれば簡単に年代を当てることができます。
似たような特徴の同時期の建物といえばロンドンの大英博物館です。
この時代はヨーロッパで戦争が繰り広げられていましたから、英雄崇拝が盛んです。
そこで英雄=神話の登場人物=神殿風の建物となったわけです。
セントジョージというのも戦争の守り神です。
そして英国の守護聖人でもあります。
この中は無料で公開されていますが、グランドフロアは特別な時しか入ることはできません。
でも上から見ることはできます。
南側に入り口がありますから、入るとすぐに左に折れて奥のエレベーターに乗ります。
まっすぐ3階まで上がると内側のバルコニーには歩いてすぐ。
高みから立派なホールを見下ろすことができます。
この時代にはミントンのタイルが流行って、ここの床もそうなのですが、残念ながら私には遠すぎて見えませんでした。例の「伝説の」ライヴァーバードの模様を是非見たかっただけに残念です。でも代わりに天井はとても近くで見ることができました。豪華絢爛。さすが大英帝国と呼ばれていた時代だけのことはあります。


今度は階段を使ってひとつ下の階に下ります。
ここは20年ほど前までは裁判所として使われていましたが、今はその部屋も公開されています。
階段からすぐの部屋は「裁判官の部屋」
なんと実際に簡単な衣装や鬘が用意してあって、身につけることができるんです。
ちゃんと等身大の鏡もありますから、身づくろいチェックもOK。
そして次の部屋はそのまま裁判の部屋。
まるで映画の登場人物。
ですからここは一人で行ってはいけません。
是非人数で行って、写真をとりまくることをお勧めします。
被告席から狭い階段を下りると、グランドフロアーに出ますが、なんとここは囚人の部屋。
いろいろ遊べて楽しいセントジョージーズホールです。

リヴァプール大聖堂


リヴァプールには大聖堂が2つあります。

英国国教会のものはこの国で最大の規模を誇っています。

私はこれを見るといつもフランケンシュタインを思い出してしまいます。

でかくてブキミ。

丘の上に建っていて、結構威圧感があります。

リヴァプールの人たちが小柄で陽気で親切なだけに、何だか対照的。

塔の高さは100mほどで、エレベーターを2つ乗り継いだ後、階段を108段上がるとリヴァプール中が見渡せるそうです。

私は高所恐怖症なので、上がったことはありません。

中はロンドンの教会に比べるとガランとしています。

イギリス名物の電話ボックスを作ったGGスコットの建築ですからお土産物屋さんには電話ボックスのキーホルダーが一杯。

第2次世界大戦をはさんで20世紀の4分の3をかけて作られた教会です。

古いものはないかと歩き回るとこんなものが。

1880年から1900年までここの司教をしたライルさんの記念碑です。

リヴァプールは2007年で800年を迎えますが、市になったのは1880年ですから随分新しいわけです。

英国では市と呼ばれるためには司教さんがいないといけないわけです。

なぜかと言うと司教様が地区教会の管理をするからで、地区教会が人間の管理をしていた時代からのしきたりです。

いまだに戸籍謄本のない英国では、出生届と婚姻届、死亡届が各登記所に保管されています。

登記所の出来る前は地区教会の管理でした。

だから宗教が違うと町で生活できなかったわけです。

教会を認めない新教徒の人たちは誰も管理できません。

そこであちこちの国から迫害されたわけ。


この中で見逃さないで、と言うのはレイディチャペルとオルガン。

本堂とは打って変わってエレガントです。

オルガンは1万本近いパイプ、5段もある鍵盤が見事です。






***お知らせ*** 
英国公認日本語観光ガイド協会ではチャリティーツアーを行っています。 
詳しくはウェブサイト(リンクします)をご覧ください。     
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マシューストリート



マシューストリートはリヴァプールの中心にあって、ビートルズにゆかりのあるところです。
世界中からビートルズファンの訪れる通りですから、壁にも記念のプレートが一杯。
リヴァプールは2008年の「ヨーロッパの文化の首都」というタイトルを勝ち取っていますが、その理由のひとつがビートルズであることは簡単に想像がつきます。



これはマシューストリートに西側から入ってすぐの右手、カヴァーンクラブの店内です。
カヴァーンというのは洞窟とか穴蔵とか言う意味です。
何となくそんな感じでしょう?
階段をズーット降りていくので秘密の場所に来た感じです。
今でも夜になると生演奏が入ります。
ここでビートルズが演奏していたわけです。



同じ並びにはガラスの入り口のショッピングビルがあって、地下に降りるとビートルズの銅像。
階段を上がったところにはビートルズ・ストアーがあります。
グッズが結構揃っているのと、脇に無料のきれいなお手洗いがあるので便利です。
通りには他にもビートルズショップというのがありますが、そちらは少し小さめ。

リヴァプール

リヴァプールに行ってきました。
ここは1207年、日本の鎌倉時代に時の王様ジョンによって港の許可証が出されたことに始まります。
今年(2007年)はちょうど800年後ということでイロイロな行事が目白押しです。
正直なところ、リヴァプールには何度も来ているのですが、ビジネス関係で泊まることはあっても、観光でお泊りと言うのは今回が初めてです。いつもはビートルズストーリー(博物館)をちょっと見て、チェスターかランカスター、もしくはスタフォードなんかに行ってしまうので、半日もいればいい方です。
ピアがやはり有名で、大型のクルーズ船などもマージー川を入ってきます。
船を迎える様に建っている3つのビルは、北からロイヤル・ライヴァー・ビルディング、クナード、湾岸事務所ビルです。
ライヴァーと言うのはリヴァプールの有名な鳥の事、ビルのてっぺんに建っています。
何とダブルデッカーのバス2台分の高さがあるそうですが、下から見るととてもそんな風には見えません。
どのガイドブックを見ても、「伝説の鳥」と書かれていますが、一体何の伝説なのかは書いてありません。イギリスのいい加減さの象徴のようです。
実はこのライヴァーバード、伝説でも何でもありません。

リヴァプールの勅許を出したジョン王の(個人の)家紋が鷲でしたから、町のあちこちにそれをかたどった印をつけたのが始まりです。彼の家はプランタジネット王朝と言って、エニシダが(家の)家紋でした。ですから咥えているのはエニシダだったんです。
ところが時がたって清教徒革命の時代、英国は議会派と王党派に分かれて戦いますが、リヴァプールは王党派に与しました。
議会派の勝利の後は党首のクロムウェルによって町が完全に破壊されてしまいます。
当然飾りになっていた鷲もすっかりなくなってしまいました。
ずっと後になってから「そういえば鳥の飾りがあったそうだから、また作ろうか」と言うアイディアが生まれましたが、調べもせずに作ったので鷲と鶴の合いの子の様な鳥になってしまいました。おまけに咥えているのも海草だとか、意見もバラバラ。
仕方がないので「伝説の鳥」と言うことにしましたが、誰も知らない伝説なので、それ以上深入りしないことにしたわけです。
そのうちに、伝説のライヴァーバードのいるところだからリヴァプールと言う名前になったなんて話も。勿論リヴァプールの鳥だからライヴァーバードなので地名が先です。
古い英語でLIVERというのは濁ったという意味。
マージー河の流れが速いので、泥を巻き上げるために濁って見えるからでしょう。
ちなみにロイヤルライヴァービルディングの鳥はコンペで勝利したドイツ人の大工さんの作です。すぐ後にあった世界大戦で敵がドイツですから彼の記録はつい最近まで抹消されていました。港として始まって、綿や奴隷のアメリカとの貿易で財を成したリヴァプールですが、20世紀には縮小の一途で、元気が出始めたのは21世紀に入ってからです。

イザベラプランテーション

リッチモンドパークの「イザベラプランテーション」は 春が一番きれいです。
たくさんの人が毎年この時期にあわせてこのプランテーションを訪れますが、公園の中なのでアクセスが大変です。
何分ロンドンで一番広い公園で、1000ヘクタールという広さです。
高台からは20km離れたロンドンアイやセントポール大聖堂、新しく出来たウェンブリースタジアムのアーチも見ることができます。
リッチモンドパークの南西部にあるので、一番近いゲートはハムゲート。ただ公共の乗り物との関係で言えば、キングストンからバス、85番に乗ってラダースティルゲートから入ったほうがいいかもしれません。
私はリッチモンドゲイトから入って2時間弱のんびりと歩きました。休憩を入れながらですから、真直ぐだと1時間強です。
今年は4月が記録的な暑さで、いつもよりもお花は早めでした。
つつじやさつき、石楠花で有名なところです。
名前については諸説ありますが、多分公園の管理人の娘か奥様の名前だろうと言われています。
この辺りの土の色が黄色がかったグレイで、これをイサベラ色と言うそうで、そこから名前が取られたとも言われています。
のんびりと歩いて回るのが一番ですが、一言で形容すると「エンチャンティング」日本語で言うと、魔法の国のお庭と言った感じです。車でもアクセスできますが、駐車場は公園のパトロンか、身体障害者バッジがないと利用できません。

2007年5月19日土曜日

FAカップファイナル


5月19日にウェンブリーで待望の初試合が行われました。
FAカップの決勝戦です。
ロンドンのチェルシーとマンチェスターのユナイテッドの試合でした。
本試合の90分では0対0だったので延長戦にもつれ込みましたが、終わり近くになってチェルシーのドルンバがスコアして1-0でチェルシーの勝利でした。
ウェンブリー競技場が新しくなって初めての試合ですから、いつにも増して試合前のセレモニーが長く続きました。
今回カップのプレゼンターはウイリアム王子様でした。
試合前にグラウンドで選手一人一人に声をかけていらっしゃいましたが、びっくりしたのはユナイテッドのファーガソン監督。
何と、王子様の背中をパッティング!
自分のチームの選手と同じ扱いなんて。
チェルシーのマリニオ監督はちゃんとお辞儀をしていました。
写真かヴィデオがきっとネットに出ていると思うんだけど、探しきれませんでした。
グーグルすると出てくるかも。
ウェンブリーのスタジアムの評判はナカナカでしたが、食べ物が高いとのクレームが早くも話題になっていました。
ハンバーガー: £5
ホットドッグ: £4
ビール1パイント: £4.50
パイ: £4
ミネラルウォーター: £1.80
プログラム: £10
特に高いとは思わないけれど。

ファーマーズマーケット


イギリスでは最近エコロジーを考える一環として、大型スーパーマーケットなどによる輸送エネルギーが問題になっています。
遠く外国から飛行機を使って運ばれてくる食品やいったん倉庫に運ばれたこれらの商品が大型トラックによって全国に運ばれているのは環境によくないというわけです。
そこで地域の活性化を高めるためにも「地元で獲れたものを地元で消費しよう」というファーマーズマーケットが人気です。
私の住んでいるリッチモンドでも土曜日の11時から3時まで街の一角でマーケットが開かれます。
農家直売のお野菜やとれたてのお魚、この季節は野鳥や鹿肉のソーセージなんかも並んでいます。
ところが高いんですね。
私の使っているスーパーマーケットはWaitroseというのですが、それほど安いスーパーではありません。
そこと比べてもマーケットのほうが1・2割ほど割高です。
なんとなく「エコロジーを考える」というファッションに踊らされている気がする今日この頃です。

ピクニック

私はフラットに住んでいるので自分の庭はありません。
お友達の中で庭がないのは私だけなので、庭の手入れの話題の時にはちょっとつまらない思いをします。
でも近所には公園がいっぱいあるので、広い庭を持っていると考えて楽しむことにしています。
ハイキングにはロンドンで一番広いリッチモンド公園。徒歩で15分強といった距離です。
テムズ川沿いの小道もお散歩には最適です。
でも一番良く利用するのは家の隣にあるマーブルヒルパークです。
今日も午後からここでピクニックをする予定。
これからWaitroseに行って食材を買い込んで準備をします。
飲み物はシャンペンにしようかな?
それとも赤ワイン?
おつまみにはチキンの手羽先をグリルしたものとチッパラータ(小さなソーセージ)、アスパラをベーコンでまいて焼いたものや、スパニッシュオムレツなんかが我が家の定番です。
チーズも何種類かそろえてお野菜のスティックも持っていきます。
セロリとチコリと人参とレバノンのきゅうり(これが日本のに1番にてる)
ピクニックシートに使っているのはキングサイズベッド用の上掛け。
小さなものは窮屈なので大きなものを探したら、これがなかなか使いやすいサイズです。6畳間くらいのサイズではないかしら?
クッションも幾つか抱えて食器もナプキンも全部もって行きます。
なんだかすごい荷物ですが、これで午後中を楽しむことを考えればたいしたことはありません。
ブール(フランスのボールゲーム)やテニスラケット(フレンチクリケットをする為)も持っていきます。
「日本でもお庭でバーベキューとか公園でピクニックとかするんですか?」
とお客様に聞いたら悲しそうな顔で答えが返ってきたことを思い出します。
「日本にはねぇ、そんないい季節には蚊がいるのよ。」
かわいそう・・・。

2007年5月18日金曜日

コンスタブル




イギリス人にあなたの好きな画家は?ってきいたら間違いなくトップ3にはいるのがジョン・コンスタブルです。

彼はロンドンから北東に上がったサフォークの出身です。ストア河が流れていて緑がきれいでのんびりしたところで彼自身「この景色のおかげで僕は画家になった」と言っています。

生まれたのは1776年ジョージ王朝の時代です。その時代、どんな絵が人気を博したでしょう?絵が買える、もしくは注文できる身分の人たちは、天井の高いお屋敷に住んでいました。社交が盛んで、個人的なお茶会や、パーティーが催されるようになった時代です。お金持ちのお坊ちゃまたちは、教養に最後の磨きをかけるため、ヨーロッパ大陸にガイドと家庭教師を連れて、2年から3年のグランドツアーに出かけます。当然大陸風の芸術が好まれますから、神話や聖書を題材にしたものが人気になります。

ちょっと想像して見て下さい。誰だって何かしら自慢したいじゃない?

「お、いいじゃん、この絵。」「ウン、この間さあ、イタリアで買ったんだよね。このおじいさんが時を表していてね、つまりクロノスって訳。それでね、この女性が欲望を表しててさあ・・・ほら、ここに天球儀があるだろ?この意味はね・・・。」「へエー物知りだねえ、君。ところであそこにいる女の子、さっきから君を見てるよ。」「ま、教養あるから僕、もてるんだよねー。」こんな感じ?

もしくは肖像画。「これは僕の曾おじいさんでね、王党派のために戦ったんだよ。チャールズ2世はえらく感激してね、それで伯爵の位を受けたんだよ。」「ああ、これは母方の叔母でね、パーシー家とも繋がりがあって・・・。」「君んちってすごいねえ・・・。」

じゃあ風景画は?「ヤア、木と川がきれいだね。まさか君が描いたの?」「えっ買ったって?」「なんで?窓の外と同じじゃん!」

ね、風景画だとうまく会話が進まないでしょう?デモね、コンスタブルは風景が描きたかったの。

この作品は彼の初期のもので、フラットフォードミルという題です。幸せな風景画でしょう?なんだかスケッチをそのまま色づけした感じ。でもホントはかなり綿密に計算されて構成されています。まず、題が水車小屋だから、当然視線は左中央の木の後ろの水車小屋に惹きつけられます。うす赤い建物、見えるでしょう?そしたら自然に目は似たような色を追いかけるのね、それが木の手前の男の子の帽子。その手前には長いさおを持った人がいて、さおの先には 男の子の乗っている馬の額が赤、その足元から右手にぐるっと川沿いの小さな赤い花。そしてメドーの向こうにはうす赤い牛の群れ。画面を一周したでしょう?これはクロードなんかに代表される巨匠のよく使うテクニックです。一見単純に見える風景なんだけど、いくつものスケッチをもとにして、スタジオで仕上げているんです。このサイトだとよくわからないかもしれないけど、実際の絵を是非じっくりと見て下さい。彼はこの作品のサインを絵に、ではなくって絵の中の地面に描いています。自分の名前を何かに書くときって、どんな気持ちだか思い出してみて。「これは、僕のもの。僕のお気に入りのもの。誰にも渡したくないもの。」それが彼のこの景色に対する思い入れなんです。彼がこの絵を描いたのは、幼馴染で、初恋の相手でもあるマリアと結婚したばかりの頃。一時は身分違いとあきらめていた、この恋が親戚からの遺産分与で思いがけなく実現した、そんな時です。ハッピーな気持ちが、ね、伝わってくるでしょう?

次はブライトンの桟橋の絵を見て。ブライトンはこの当時一世を風靡した観光地です。もとはしがない漁村だったのが、桟橋やホテルが出来て1大リゾート地になったところです。でも、この絵にはそんな華やかさは無いでしょう?確かに桟橋もオープンしたばかりのアルビオンホテルも見えるけれど手前で網をつくろっているのは、貧しそうな漁師だしこの空!コンスタブルが好きではなかったブライトンまで、スケッチ旅行に来たわけではないんです。実はマリアが病気になっちゃったの。そこで療養のために海水を求めて、ここまでやってきたんです。華やかなリゾート地を描きながらも心ここに非ずって事?

じゃあ次はお城の廃墟。このお城もサフォークにあるなんて信じられる?最初の絵をスケッチした場所からそんなには離れていないんだけど、何でこんなさびしい絵を描く気になったのかしら。それはとうとうマリアが死んでしまったから。お友達に書いた手紙の中に「何もかもが変わってしまった。もう同じ景色を見ても同じものは感じられない。」って残してます。これ以外にもストンヘンジだとか、しっかりしてよ、って背中を叩きたくなるような絵を描いています。かろうじて救いなのは、日がまさに廃墟からさそうとしていること。これは仕上がった作品ではなくて、スケッチなんだけど何かつらい事があるときに見ると、何となく慰められる作品で私は大好きです。

一番上の作品はパリで金賞を受賞してそれがきっかけでイギリスでも認められるようになったという彼の代表作「干草車」です。私自身は最初の絵のほうが好きなんだけど皆さんはいかがですか?
コンスタブルの作品には白黒のぶちの犬がよく登場しますが今日ご案内したこの4つともにワンちゃんが出てきます。ある時絵の好きなイギリス人の友達の家で絵の中にワンちゃんを見つけて友達に「これ、コンスタブル?」って当てずっぽうに言ったら本当にそうでびっくりされた事があります。マイナーな作品だったんで題は覚えていませんがもっともらしくテクニックの話で盛り上げて犬の話は伏せておきました。「ま、イギリスの画家だったら一目見て誰が描いたかわからないとガイドは出来ないから。」と堂々と抜かしてしまいました。その時はすごく感動されて気分よく帰ったんですがそれ以来後には引けないのでパーティーのお誘いがあるたびに言い訳をして断ってます。

セントジョージって誰?


ヨーロッパの絵画を観る時に、ある程度知識があったほうが楽しめるのが、聖書の大まかな内容や、キリスト教の主要人物です。ということで、英国の守護聖人、セント・ジョージってご存知ですか? この絵はナショナルギャラリーにありますが、これ以外にもいろんなところに登場します。
スポーツのワールドカップの時なんかに長方形の赤十字の旗を見るでしょう?あれは彼のしるしです。
彼は今から1700年ほど前に亡くなった実際の人物で、今で言うとトルコの出身です。
セント・ジョージはもともと蛇退治で活躍していたところから悪者をやっつけるというイメージが定着して伝説が色々生まれたようです。

彼はドラゴンを退治したことになっているのですが、このお話も、彼の蛇退治の職業が尾ひれがついて話されていったものでしょう

初期のキリスト教信者は、人々を改宗させるために、いろんな地方を回ったのですが、ジョージさんも「この蛇を退治したら洗礼してね?」なんてことをやっていたのかもしれません。

ドラゴンを退治するときも、王様と騎士たち、兵士たち15000人が約束して洗礼したことになっています。

このおはなしは英国では既に7世紀以降には知られていたようですが、カクストン(15世紀にこの国に印刷機をもたらした人)の印刷で「黄金伝説」の中に取り入れられたために、他のハナシよりも広がり方がよかったようです。
カクストンよりも前、十字軍の頃から悪者退治イコール騎士道精神という図式で、兵士や武器の守り神になりました。

そしてエルサレムでは、十字軍の軍隊の守護聖人でした。またセント・ジョージの旗はキリストの復活のシンボルです。(中世ではペストやらい病などにもご利益があるとされました。)
そこで騎士の勲章として、14世紀に英国で作られた、ガーター勲章もセントジョージとかかわりを持たせたわけです。
英国の守護聖人となったのは1415年、100年戦争中、アジンコートの戦いに勝利した際のヘンリー5世のスピーチで「英国はセント・ジョージの庇護下にある」と言う言葉からです。
ちなみに英国には160以上のセント・ジョージ教会があって、外国で有名なものはフランスのクレモン・フェランド(水で有名なヴォルヴィックの近く)の大聖堂、パドヴァ、ローマ、コンスタンティノープル、ヴェニス、ヴェローナなどです。
1969年にローマ・カソリックが祭典のカレンダー(守護聖人の日をお祭する取り決め)を改定してからはあまり重要ではないとみなされるようになりました。

セントポール寺院



セントポール大聖堂、これがあるからロンドンはシティーと呼ばれているわけです。
ロンドン市の入り口に当たる、道路わきに立っている「しるし」をゆっくり見てください。
ドラゴンが赤十字の旗を持っているでしょう?
これはセント・ジョージの旗でイギリスの守り神を現しています。そしてその左肩には剣が描かれています。
これはローマの市民権を持っていたために磔を免れて剣で殺された「セント・ポール」の意味があります。
つまり、英国のセント・ポール大聖堂のある所というわけです。

ここには紀元604年から教会が建っていました。
ロンドンには山がありません。だから石も採れません。
そこで昔から建築材料といえば木と、泥と、藁だったわけです。
(例外はローマ人がいた時代で彼らは石やレンガを使いました。)
そこで大変火事の多かったロンドンでこの教会も何回か建て直されました。
現在のものは1710年、天才建築家クリストファー・レンによって作られました。ちょうど時はアン女王の時代です。
とりあえず彼女の記念像を教会の前に立てているんですが、彼女には悲劇の女王というあだ名が付いています。
マリーアントワネットみたい?
もっとかわいそうんなんです。
彼女はみんなから跡継ぎを生めと攻め立てられて17人もがんばって生んだのに、一人も生き残らなかったので、最後はアル中で死んでしまいます。その彼女の祟りなのか、ここで結婚式を挙げるとろくな結果にならないとか・・・。
有名なカップルを挙げるとするとダイアナ妃とチャールズ皇太子でしょうね。
中は軍人さんと芸術家が主に記念、埋葬されています。歴代の王立美術学院の院長はここに眠りますし、ネルソン提督やウエリントン将軍のお墓もここです。

足に自信のある人は是非、高さ111メートルを誇るドームに挑戦してみてください。
内側のささやきの回廊で、本当にお向かい(直線で30メートル以上離れている)のささやき声が聞こえるか試してみるのも良いし、外側の金の回廊で100メートル以上の高みからのロンドン見物も一興です。ただし、高所恐怖症の方と閉所恐怖症の方にはお勧めできません。
そんな方たちは中をゆっくり見て廻ると良いでしょう。

私のお気に入りはヘンリームーアの「母と子」わざわざ「聖母子」にしなかったのが彼らしい作品です。母と子の愛情が兄弟の愛に、そして友情へ、そんな愛が育って、世界が平和になれば・・・。この作品は彼が晩年、車椅子に乗ってやってきてこの場所にと決めたそうです。セントポール寺院はヘンリームーア財団からこのオブジェの永久貸し出しを受けています。
このオブジェは見るだけでなく、触れてください。
それで愛を感じてその愛を伝えてください。それがヘンリームーアの願いだそうです。
さらに奥、一番東は第2次世界大戦で亡くなったアメリカ人兵士に奉げられています。

セントポール大聖堂から出たら周りをぐるりと見渡してみてください。
イギリス人は古いものをとても大切にします。新しいビルを建てるために古い歴史のある建物を取り壊すことはあまりありません。ところがこの大聖堂の周りは近代的な建物ばかり。つまり、古い建物が残らなかったという場所です。第2次世界大戦中に大聖堂自身も爆撃の被害を受けました。
傷つきながらも生き残ってきた、この大聖堂はロンドンの象徴でもあるわけです。

フロイト博物館


ハムステッド丘陵は閑静な住宅地としてロンドンでも人気があります。
昔から様々な人々がこの地を生活の場に選んでいます。少し歩いただけでロンドンの中にいるとは信じられない緑の多さや高台から望むロンドンの街も数え切れない魅力の中のひとつです。
そんな住宅街には昔こんな人が住んでましたよ、って云う標がおうちについています。
これはブループラークって呼ばれていて、直径が4-50センチ位の青いプレートです。
ロンドンのあちこちで見ることが出来て誰がいつ、どれくらい住んでいたか、その人の職業は何かまで書いてあります。
「誰、これ?」ってのも多いんだけど、へぇーって云うのも結構あります。

話をフロイト博物館に戻すと、この博物館は彼が住んでいたおうちをそのまま博物館にしましたっていう所です。
だからおうちの正面にブループラークが付いてます。
読んでみましょう、「シグマンド・フロイト、1856年-1939年、精神分析を始めた人、ここに1938年から39年まで住んだ。」とあります。
「なぁーんだ、1年だけじゃん」とがっかりしないで中に入ります。
1945年にアウシュビッツが開放されました。強制収容所を稼動させる第2次世界大戦の少し前からヒトラーは気に入らない著書の焚書をまず、ドイツで始めます。フロイトの著書も健全な精神の妨げになる毒書としてベルリンで1933年に公衆の見守る中焼かれました。当時彼は家族とともにオーストリアに住んでいたのですがとうとう38年にはオーストリアはドイツに吸収されてしまいます。
公開焚書のすぐ後に仲間のユダヤ人精神科医たちは亡命していきますがフロイトはこのオーストリア吸収まで踏みこたえます。年齢は80歳を超え、舌癌に冒されながらも47年間住み慣れた家をとうとう後にして彼はイギリスにやって来ます。
交流を深めたユングとともに訪れたことのあるアメリカを選ばずにイギリスを選んだのはなぜでしょうか?
1936年に彼の功績を記念して英国王立協会が彼を名誉終生会員にしたのも影響があったかも・・・。アメリカを「大いなる間違い」と呼んだのはフロイトでしたよね。
友人たちへ宛てた手紙には「18歳のときに、初めて訪れたイギリスにいつかイギリス人として住んでみたいという気持ちを持った」とあります。
モラヴィア(現在のチェコ共和国)で生まれてウィーン(1919年まではハンガリー、その後1938年まではオーストリア、後、ドイツに吸収)に住んだユダヤ系ドイツ人という複雑な生い立ちの彼には「雨と霧と酔っ払いのあふれる保守的なロンドン」は自由と安全と普遍を象徴していたのかもしれません。夏目漱石と同じころに同じロンドンを見て、こんなにも正反対の感情をもったことはやはりお互いの生い立ちの違いからでしょう。
この家は彼がイギリスに来て約3ヵ月後に購入しました。息子の尽力でなるべくウィーンで開業していた当時の内装に近づけて高齢の彼をいたわったようです。亡くなる直前までフロイトは執筆にいそしんだり友人を迎えたりしてこの家で最後の1年を過ごしたわけです。
フロイトが亡くなった後もその家族はここに住み続けました。
特に娘のアンは児童心理学に力を尽くした人で彼女に関する資料もたくさん見ることが出来ます。
この博物館は彼女の亡くなった1982年に彼女の遺志で博物館になることが決められました。公開は1986年からです。


見逃せないのはやはりオリジナルの精神分析用の寝椅子。精神分析といえば寝椅子に座った患者が眼を閉じて医師に答えるというイメージがすぐに思い浮かびます。これはフロイトが実際に使ったものです。(残念ですが見学者は座れません)ダリの描いたフロイトのフツーの肖像(ダリだからって期待しないでね、ごくフツーの素描です。)おみやげにお薦めなのが「エゴバッジ」とフロイト人形。押すとキャッツの「メモリー」が流れてきます。

サンドウィッチ


物価の高いロンドンですが、よくお客様から「普通の人はいったい何を食べているんですか?」と聞かれて返答に困ることがよくあります。
日本人は普通とか平均と言った言葉をよく質問に出します。
でもイギリスではあまり意味がありません。
「普通の人」といわれても、どんな職業についていて、どの辺りに住んでいるかで随分違ってきます。
日本では1000円も出せばちゃんとしたお昼ご飯がレストランで食べられるそうですが、ロンドンでは1000円(2007年春の為替で4ポンド弱)でお昼ご飯といえばサンドウィッチとコーヒーで足が出るかも、というところです。
しかもEat In(お店で食べる)ではなく、TakeAway(お持ち帰り)です。
パブランチで飲み物と単品を取ると10ポンド前後(2500円くらい)から、レストランに入ると15ポンド(4000円弱)からというのが相場です。
オフィス街の公園で気候がよくなると、お昼を食べている人たちを見ることができます。
サンドウィッチと飲み物。
のんびり寝転がっていたり、友達と雑談していたり。
多分一番経済的な外食です。
私のお気に入りはPret A Mangerというサンドウィッチ屋サン。
チェーンなのですが素材にこだわっていることと、店内で調理されていることが特徴です。
その日の残り物は近所のホームレスの人たちなどに寄付して、次の日に売ることはしていません。
昔ながらの街角のサンドウィッチ屋さんもそれなりにいいのですが、素材が信用できないのが難点です。
卵やハムなどサンドウィッチに欠かせない材料は、安くていいものは存在しません。
物の値段を見たら、材料費を考えるようにしています。
プレタのサンドウィッチは3ポンド弱のものが大半ですが、安心と環境を考えると安いと思います。
サンドウィッチはイギリスで生まれました。
賭け事が大好きだったサンドウィッチ伯爵が、食事のために席を立つ代わりに、パンの間にお肉を挟んで持ってこさせたのが始まり。
1762年のことで、場所はロンドンのビーフステーキクラブ。
24人のメンバーとその友人が夜毎に賭博を楽しんでいた紳士クラブです。
他のメンバーも「サンドウィッチと同じものを」注文したのでメニューになったそうです。
このクラブは今でもロンドンにあります。





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モネと白内障


この間「知られざるモネ展」の事を書きましたが、新聞に彼に関する記事が載っていました。
モネが白内障を患っていて、亡くなる数年前に手術をしたことは有名ですが、重症だったときにはどれくらいの視力があったのか、というお話でした。

例えば彼の代表作「Water-Lily Pond」は彼が60歳のときに発表されていますが、この景色をコンピューターを使って彼の視力を通して見ると、ぼやけた黄緑色が濁っている程度です。

左の上は同じ景色の写真、下はおそらくモネが見たであろう景色。


でもモネは視力(はっきりした輪郭)の低下よりも色の識別力の低下を恐れていたようです。
彼の作品に以上に明度の高い色が使われたり、青を強調しているのは、茶色く濁ってきた視界への反発が底辺にあるのでは、という見方もあります。
霞んだ様なロマンティックな風景は実は白内障が原因かもしれないわけです。
ただ、白内障の手術が成功した後に、作風が大きく変わったわけではありませんから、まだ謎は残ります。


2007年5月16日水曜日

処刑のイロイロ

今回は処刑にまつわるお話です。
イギリスには4通りの処刑がありました。
一つ目は首切り処刑。ギロチンじゃないのよね。
あれは洗練されたおフランスのお話。
イギリスでは斧でちょん切ります。30センチか40センチぐらいの木の台に首を乗っけてね、斧でスパーッと切りたいんだけど、首って意外に固いんですって。
平均すると3回目ぐらいでやっと落ちたそうです。
これは主に身分の高い人たちの処刑に使われました。ロンドン塔が有名だけど実際には丁度その北側、今、地下鉄の駅の入り口の辺りをタワーヒルって呼んで首切りに使っていました。
ロンドン塔のなで処刑されたのはほんのわずか、たったの7人と言うから驚きです。
ロンドン塔でたまに霊を感じる人がいるそうだけど、それよりも地下鉄の駅で降りてから地下道を通らずに道を横断してロンドン塔に行く道で何百人と処刑されていたわけです。
霊を感じるなら正しい場所で感じましょう!

ここで処刑された人の中にずいぶんと首の固い人がいました。
名前をモンマス公、パパは浮気者ののチャールズ2世です。
奥様に子供の無かったチャールズ2世が亡くなると、弟のジェームス2世が王位につきます。
これが気に入らないのが庶子である彼。、
ジェームス二世に対しての反乱が元で処刑されます。
ところがナカナカちょん切れないの!
やっと6回目で落とされた首は見るも無残な有様だったとか。
はなしはこれで終わりません。
さあ、後片付け、って云う段になってからこの人の肖像画が無いということで、一応王様のジェームス2世の甥に当たるわけだから描いて置こうって事になったそうです。
聞いた話ではこの絵は国立肖像が博物館にあるそうです。(私は見たことがありません。)


以前はこの絵はモンマス公と考えられていましたが、今は身元のわからない人、となっています。
信憑性のない話だから、仕方ないかも?
この手の話が好きな人にお勧めのお土産がロンドン塔で売られています。
紙で組み立てる動くおもちゃなんだけど取っ手を回すと執行人が首をちょん切るシーンが繰り返し楽しめるというもので結構笑えます。ガラスケースの中にディスプレイされているのでボタンを押してみてね。


二つ目の処刑は火あぶり。これはお坊さん用。昔の人は殉教者の遺体を拝むケースが多かったから灰にしたかったのかしら?これで有名なのはスミス・フィールド。何とロンドンのお肉屋さんの中央市場になってます。ロンドンって・・・。

ここではたまに3つ目の見せしめ処刑も行われました。
まず首をくくります。
そして死なないうちに台からおろして生きたまんま内臓を取り出します。
そして最後に首をちょん切って体は4ツザキ。
首は槍に刺してロンドン橋に晒して体は東西南北の方向へバラバラに捨ててしまいます。
この内臓を取り出されながらも「フリーダーム!!!」って叫んだのがメルギブソンの演じたウイリアム・ウォレス「ブレイブ・ハート」です。
この処刑方法のことを「ハング、ドロウン、クォータード」といって何とパブの名前になってます。
なんとなく、落ち着いて飲めない名前かも・・・。ロンドン塔のすぐ横にあります。

最後の処刑方法は単純な首吊り。
場所はマーブルアーチ。
ハイドパークのちょうど北東角で、北に伸びる通りがエッジウェアー通り、西にベイズウォーター、東にオクスフォード通り、南にはパークレーン通りが伸びて行きます。
どこ行くにも便利でホテルも多い地区なんだけど昔はタイバーンと呼ばれていました。
交差点の真ん中にはこの場所が処刑場だったというしるしが付いているんだけど、忙しい人たちは気付かずに足早にとおりすぎて行きます。

ガイドブックには、マーブルアーチという大理石の門で首をくくったと書いてあるものや、近くのスピーカーズ・コーナーの事を、処刑される前に囚人が演説をした場所だとか、見てきたようなうそが書いてある事がありますが、いずれも真っ赤な嘘です。
アーチの場所から50メートルほど西のエッジウェアー通りが始まる場所に、仮設の台が設けられて処刑がありました。
娯楽の乏しかった昔は庶民の楽しみの一つで、現在の刑事裁判所のあるオールドベイリーから、荷馬車で囚人を連れてきて、約4キロの道のりも合わせて大盛況だったようです。
囚人はこれらの庶民を惑わせる恐れがあるとされて、話すことは一切禁じられていました。
スピーカーズコーナーは元々集会が暴動に発展しないための「はけ口」として始められました。
いまだにハイドパークでは集会が暴動に発展する事があります。
日本のお客様は暴動慣れしていないので恐怖感が全く無い場合があります。
「火炎瓶の飛び交う中、ビデオカメラを手に「暴動を撮りに行きたい」というお客様をやっと説得したことがある」と言う添乗員さんの話を聞いて、なんだか場面が目に浮かぶようでした。


日帰りでロンドンから楽しめる観光地のひとつにバースがあります。
普通のツアーならあの「ストーン・ヘンジ」と組合せになっていることが多いんだけど
そこを出てからバースに向かう途中にたくさんの豚さんを見ることがあります。
そんなところを通りながら私はいつもバースのイントロを始めます。
バースは温泉で有名な街なんだけどこの温泉を発見したのが何と豚さんなんです。
昔々、まだイギリスがもっともっと森が多かった頃 一番飼いやすかったのが豚さんなんです。
だって何でも食べちゃうでしょ?
特にどんぐりが大好物の豚さんたちは森にずんずん入って丸々と太ってくれます。

重い皮膚病にかかったために宮廷を追い出されてしまった王子、
ブラダッドは仕方なく豚を飼って森の中で人目を避けて生活します。
そしてある日皮膚病に罹っていた豚がいつの間にかきれいになっていることに気付いて
豚の後を追ってみると生暖かい泥沼で豚たちがたわむれています。
同じようにブラダッドも泥に身を浸すと何と皮膚病はすっかり治ってしまいました。
めでたく彼は宮廷に返り咲き、後にシェークスピアでおなじみのリア王のパパになります。


今では豚さんはいつの季節でも手に入るけど中世の時代までは
豚といえば冬の初めに絞めちゃうと決まっていたものです。
だって森の中で落ちてる木の実をたくさん食べて一番味のいいときだから!
絞めて、吊るして、さばいた豚さんは塩漬けにしたり、暖炉の脇に下げて燻製にしたり、余り物は腸詰にしたり、部分によって保存の仕方が変わります。
この豚さんたちが春になるまで農家の人たちのタンパク源になったんです。

豚肉だったら日本にもあるんだけど、
私がティムちゃんと結婚して作ってもらったお料理で
へえーってびっくりしたのがロースト・ポーク。
皮のところがカリカリになっててクラックリングっていうの。
すっごくおいしー。
イギリスの人たち見直しちゃいました。
後はベーコンやソーセージのおいしいこと!
家では豚肉の加工品はチャールズ皇太子のブランドを使っています。
(そのうちこのコラムで紹介します。)
ベーコンとソーセージは安物はだめ。
どうせたいした金額じゃあないんだから最高級品を買いましょう。

ガイドブックを読んでてびっくりするのが
「イギリスのソーセージにはお肉が入ってない」とか
「塩辛いだけのベーコン」とか言う記述。
それは書いた人が予算がなかっただけの話でイギリスのソーセージやベーコンがかわいそう!
チェーンのホテルやB&Bの朝ごはんを食べたぐらいでホントの味は語れません。
ぜひホントのソーセージを食べてみてください。
「バンガー&マッシュ」というのはソーセージとマッシュポテト。
オニオングレイヴィーをたっぷりかけて召し上がれ!
田舎のパブのお昼ご飯にお勧めです。

カレー

ロンドンのカレー屋サンの95%はバングラディッシュ人の経営です。
インド人って言うのはすごく稀。
第二次世界大戦の後、やっと食糧事情が改善した50年代からロンドンにはたくさんのレストランが出来始めます。
特にウエイターの態度が慇懃なことと エキゾチックなイメージでカレー屋さんが軒を並べていきます。
ところが本格的なカレーは日本のカレーと違って、ソースが殆どないドライな仕上がりのカレーです。
そこでソースの大好きなイギリス人が「こんな風だと食べられない。もっとソースを盛ってくれ」って文句を言ったわけ。
戻ってきたお皿を眺めて困り果てたシェフが考え出した苦肉の策が、イギリス人の大好きなトマトソース。
これを混ぜてカレーを出したらこれがなんと大当たり。有名な「チキン・テッカ・マサラ」の出来上がり。
でも最近ではワザとこの大衆メニューを載せずに「うちは本格的なカレー屋ですから。」なんてお店も出てきました。
悲しいのは1ヶ月ぐらいでそんなお店も「テッカ・マサラ・カレー」を始めてしまうところ。シェフの心境やいかに?!
 
それではティムちゃんの簡単特製カレーの作り方。
まず最初にたまねぎを2個スライスします。
焦がさないように弱火で炒めて(ひまわり油たっぷりでね。最低でも大さじ3-4杯)
みじん切りにしたニンニクを2カケ加えます。
これをフード・プロセッサーに入れてピューレーにしてオーヴンに入れられるお鍋に入れます。
ターメリック、コリアンダー・シード、クミン、チリパウダー、パプリカ、塩、コショウを各小さじ1、しょうがのすりおろしたものとトマト・ピュ-レーを各大さじ2、お鍋に加えて混ぜ合わせます。
鶏肉を750g食べやすく切ります。(胸肉はヘルシー、もも肉はコクがあります。お好みで決めてください。)
これをお鍋に加えて30分ほど180度のオーヴンに入れます。
マッシュルーム200g は4等分にして、トマト2-3個はくし切りにして、コリアンダーの葉っぱを少しとフェネグリークを一撮み、お鍋に加えたら またオーヴンに戻して さらに10分から15分で出来上がり。
ティムちゃんはこのカレーを2週間に1度は作ってくれます。
付合せのごはんはインドのバスマティ・ライス。
私のおうちには炊飯器がないので ごはんはいつもお鍋で炊いてます。
洗わずに大さじ1杯のひまわり油に絡めてカルダモンとお塩をひとつまみいれて軽く炒めた後熱湯を注いで沸騰させます。(熱湯の量は普通のごはんの時と同じか少しすくなめぐらいかな?)
そこまでは蓋をせずに、その後は弱火で10分位蓋をしておきます。
その後火を止める間際に蓋をあけて強火にして30秒,余分な蒸気を追い出したら蓋をして10分間蒸らして出来上がり。
紫たまねぎとトマトときゅうりをみじん切りにしたものにレモンを絞ったサラダを付け合せにいただきます。

メアリーローズ


メアリーローズは約500年前に造船された当時最高の戦艦でした。
ヘンリー8世の時代にフランスとの戦いでポーツマス沖に沈んだものが、1982年に引き上げられています。
泥の中に沈んでいた右舷は残っていますが、潮にさらされた左舷は海の微生物などの影響もあって、すっかり失われてしまいました。
最終的には乾燥させて保存されることになるのですが、今はその前段階で湿度を保ちながら徐々に溶解ワックスを浸透させています。
長さが45メートル、幅が12メートル弱の5層構造で、約400人が生活することができました。
船の縦半分が残ったわけですから、ちょうど断面を見ることができるわけです。
この時代は弓と大砲が船に搭載されていました。
引き上げられた船の中から当時の遺留品もたくさん見つかっています。
ポーツマスのヒストリック・ドックヤードではエキシビションの中でこれらの展示がされ、シップホールで実際の残骸を見ることができます。

これは引き上げられた大砲です。
おそらくロンドンで450年ほど前に作られたもの。ヘンリー8世の紋や名前がラテン語で入っています。

バックギャモンのゲームボードも見つかりました。船員たちが使ったのでしょうか?

なんと注射器。この時代は床屋さんがお医者さんも兼ねていました。下は薬ビンの数々。当時の人の指紋が残っているそうです。

2007年5月15日火曜日

ヴィクトリー号


お仕事の下見でポーツマスに行ってきました。
ここは英国海軍のベースのあるところで、街中に表示が出ています。
ロンドンからだとM3でサザンプトン経由が一般的な行程です。
今日はリッチモンドから1時間と少しで到着しました。
高速から港に出るとすぐにポーツマス・ヒストリック・ドックヤードに出ます。
手前の駐車場に車を止めて、さあ入場。
ここには2艘の船(HMSヴィクトリーとHMSウォリアー)の入場見学に加えて、450年ほど前のメアリー・ローズの残骸と関連のエキシビションに入ることが出来ます。
まず最初に一番時間のかかるヴィクトリーから見ることにしました。
以前は保存工事のために一時閉めていたので、入場見学をするのは久しぶりです。
観光地ではよくこういったことがあるので、久しぶりの場所は下見が絶対に必要です。
いつも訪れるところは変化を簡単に知ることが出来ますが、1年に数回しか来ないようなところでは、バスの乗り降りを始めとして、変わっている事が多くあります。
HMSヴィクトリーはトラファルガーの海戦でネルソン提督がスナイパーに撃たれた船です。
英国は勝利しましたが、彼は戦死しました。
ここでは彼の時代のヴィクトリーを見ることができます。
大砲や火薬の保存庫、ネルソン提督の私室や一般のセイラーの休んだハンモックなど、見所は色々です。
これはネルソン提督のダイニングテーブル。
彼はもてなしでも有名だったそう。

これはその真下にある部屋でキャプテンの部屋。
作戦会議が開かれたみたい。

ネルソン提督のベッド(というかハンモック)

彼の部下ハーディーのベッド
Hの頭文字が見えますか?

他にも興味深いものがいろいろ。
これはヴィクトリー号の舵です。

ウエストミンスター寺院

上の写真は西側の入り口。
お祈りの時はここから入ります。
下は東側。
中がとても綺麗なのはこのあたりです。一般の観光の人たちは、北側から入場します。今から約千年前、このあたりはソーニー・アイランドって呼ばれて、テムズに浮かぶ島のひとつでした。時の王様はエドワード証誓王、まだ王子様のときにバイキング系の王家に勢力のためにフランスに亡命した経験があります。

彼はそんな頃心に誓ったの。「もし僕が王様になれたらきっと神様にお礼の気持ちを伝えよう。ローマのサン・ピエトロまで巡礼に行こう。」デモね、王様にはなれたんだけどローマまでなんて行ってる暇ないのよね。

そこで彼、イギリスにサン・ピエトロ寺院を作ろうって考えてました。
当時のロンドンを西に出たところにサン・ピエトロって小さなお寺があったから、それを大きく作り直す事に決めました。そしてそのそばに住みたいって考えて、宮殿も隣に作ったわけ(これが現在の国会議事堂の元になります)。

出来上がったのが1065年、12月の28日。
ロンドンの西にあるからウエストミンスター寺院って云うわけ。
サン・ピエトロって云うのも名前のひとつです。
英語ではセント・ピーター、天国の鍵を預かっている人。
ここの旗は黄色に赤い鍵が交差している(サン・ピエトロを表している)時と、青い地に十字架、そこに小鳥たちがとまっている(聖エドワードを表している)時があります。

この人は聖人って言われるだけあってとっても清らかな人で、神様に操を立てています。
そこでやむなく結婚した後も奥様に手は出さなかったとか・・・。
大変に信心深くって、ある時乞食が巡礼に行く費用が欲しいって彼に無心したら「もって行きなさい」って自分のサファイアの指輪を与えたと言う話が残ってます。
実はこの乞食は彼を試した天使だったとか。まあ話には尽きません。結局楽しみにしていたここが出来て1週間後に彼、病気で死んでしまいます。

その後いろんな人たちが「私が彼の後を継いで王様に」って名乗り出たんだけど、フランスのノルマンディーを治めていたバイキングあがりのウイリアムがこの国を征服します。
「私こそエドワードの跡継ぎにふさわしい」ってアピールのために、出来たばかりのウエストミンスター寺院で、しかもクリスマスの日に戴冠式を挙げます。
それ以来戴冠式はここで行われるようになりました。

中のモニュメントはそれこそたくさんガイドブックが説明してるのでここでは触れません。

私のお気に入りは

1、ヘンリー7世チャペルの天井。
2、ルービリヤックのナイチンゲール記念碑(あのナイチンゲールじゃないので念のため)
3、戴冠の椅子にある数え切れない落書き
4、アイスリップチャペルの外側にある駄洒落の彫り物(木から落っこちる人と目玉でアイ・スリップ)
5、チャプターハウス(ダヴィンチ・コードに出てきますね。)
是非探してみてください。

折角だからガイドブックには載ってない裏話を2つ。

ヘンリー7世チャペルにはバース勲章をもっている人たちの家紋が旗になって飾られています。前に持ってた人の家紋は真鍮のプレートで飾られています。
ガイドの勉強をしていた時に、日本人でバース勲章をもらった人がいるらしい、という噂を聞いて調べてみる事にしました。
寺院の図書室に入れてもらってバース勲章の記録を調べたいって言ったら、革表紙の厚みが15センチ以上ありそうな記録を2冊調べさせてくれました。
11世紀からの受勲者の名前が凡て記されているそうです。
まさか全部は見きれないので、多分明治維新ぐらいだろうとアタリをつけてページを繰っていくと、ありました。「マーキス・イトー」
イニシャルも何にもなし。ただのイトー侯爵。
おそらく伊藤博文?
こんな時代の記録もちゃんと残っているのはさすがイギリス。
ただいい加減に「イトー侯爵」って載せるのもさすがイギリス・・・。

もひとつはお隣のウエストミンスター校。
13歳から18歳のお金持ちのお坊ちゃま校です。
学費は年間400万円を下りません。
出身で有名なのはアレキサンダー・ミルン「クマのプーさん」を書いた人。 
ディズニーが版権を買ったときに、かなりの金額がこの学校に入ったそうです。
生徒たちに、このお金を有効に使うアイディアを募集したところ、一番多かったのが
「両親が学校に来るときに便利なように、校庭にヘリポートを作って欲しい」
2番目が水道の栓をひねると、コカコーラが出るようにして欲しいというもの。
最後は校内にスターバックスの支店を作って欲しいというものでした。